Mèo Âu ღ北公爵夫人ღ -鋒-
Posts : 1524 Join date : 2009-09-06
| Subject: 日本の髪型の歴史 05.04.11 17:46 | |
| - 日本男子の髪型の歴史 -「美豆良」(みずら)古墳時代・大和の時代と男子の一番古い髪型。 古代男子の髪型の一種で「美豆羅」とも書く。 頭髪を左右に分け、これを束ねて耳の当たりで結んだ髪型で 埴輪像にも見られる。 言葉の語源は「耳に連なる」が短くなったという節がある。 「冠下の髻」(かんむりしたのもとどり)飛鳥時代から奈良時代になると髪型も美豆良(みずら)や 垂髪(たれがみ)の他にこの髪型があった。 推古天皇のみ代に唐の制度を真似、色の付いた冠を かぶるに当たり考え出された。 平安時代後期から鎌倉時代、天皇・役人・将軍などの品位の高い人は 相変わらず冠下の髻(かんむりしたのもとどり)を結っていた。 「頭上一髻」(ずじょういっきつ)奈良時代から平安時代初期に仏教の伝来とともに中国の文化も入ってきた。 髪型も美豆良(みずら)や垂髪(たれがみ)に変わって 頭に髻(もとどり)を作るようになった。 一つ作ったものを頭上一髻と言い、この髪型は初めは男子の髪型だった。 また、このもとどりを頭の上に二つ作ったものを頭上二髻といった。 |
|
Mèo Âu ღ北公爵夫人ღ -鋒-
Posts : 1524 Join date : 2009-09-06
| Subject: Re: 日本の髪型の歴史 05.04.11 18:02 | |
| 「月代」(さかやき)別名を(つきしろ)ともいう。男子が前額から頭の中央にかけて頭髪をそり落としたことをいう。語源として、「さか」は冠の意、「やき」は鮮明の意で、冠をかぶるときに前額部の髪を月形にそり、そのそりあとのあざやかなことから出たという説と、冠をつけたり、応仁の乱以後武士が常に冑(かぶと)を付けたとき、頭ののぼせを防ぐために髪をそったことから、逆気(さかいき)の転じたものという説とがあるが後説が妥当とされている。この月代は平安時代後期から始まり鎌倉時代・室町時代中期までと続く。鎌倉・室町には 大月代(おおさかやき)・半頭(はんあたま)・中剃り(なかぞり)などの種類があった。 「大月代」(おおさかやき)月代(さかやき)の変形その1 鎌倉時代から室町時代には天皇・役人・将軍などの品位の高い人は 相変わらず冠下の髻(かんむりしたのもとどり)を結っていたが、 一般人の間では髪を切ることが盛んに行われ、武士は頭の一部 を剃っていた。これを月代(さかやき)という。 武士が戦場に行くとき重い兜をかぶり、頭がのぼせて苦しくなるのを防ぐために、 生え際を剃ったり毛を抜いたりした。これが江戸時代になると武士だけでなく一 般民衆の間にも流行となり広まった。 「半頭」(はんあたま)月代(さかやき)の変形その2 鎌倉時代・室町時代中期の月代(さかやき)の一種で、この半頭も 月代(さかやき)の一種である。 「中剃り」(なかぞり)月代(さかやき)の変形その3 鎌倉時代・室町時代中期の月代(さかやき)の一種で、 この中剃りもその一つである。中側を剃ることからこう呼ぶ。 |
|
Mèo Âu ღ北公爵夫人ღ -鋒-
Posts : 1524 Join date : 2009-09-06
| Subject: Re: 日本の髪型の歴史 05.04.11 18:11 | |
| 「垂前髪」(たれまえがみ)室町時代後期から安土桃山時代に流行の髪型。 つけ髭も出てきてヒゲを立てるのに伽羅油 (きゃらあぶら:溶けたローソクと松ヤニを混ぜて作る)でヒゲを固めていた。 「前立髪」(まえたてがみ)室町時代後期から安土桃山時代に流行の髪型。 立前髪(たてまえがみ)ともいう。このころから、 つけ髭も出てきた 「銀杏頭」(いちょうあたま)室町時代後期から安土桃山時代に流行の髪型。 武士が頭を剃るのに反して戦いに敗れ主人を失った浪人達は 月代(さかやき)をやめて髪を乱したままにしたり垂らしたりしていた。 |
|